谷川岳の日

2011年3月、日本記念日協会から「谷川岳の日」が記念日認定されました。

1920年7月1日、藤島敏男・森(日本山岳会)の2名が、土樽の案内人剣持政吉を伴い 土樽村から入り、仙ノ倉山に至り三ノ沢に下降。翌日の7月2日に矢場尾根から茂倉岳・谷川岳に至り天神峠から谷川温泉に下った。この日本登山史に残る谷川 岳初登頂の日を記念日としたのは谷川岳の麓に位置する群馬県みなかみ町。町のシンボルである谷川岳をアピールする日。

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記念日登録証

谷川岳の日

記念日登録証交付

2011年7月2日(土)谷川岳ベースプラザにて多数の来賓の方々の参列をいただき谷川岳の日制定記念式典が挙行されました。岸良昌町長から、みなかみ町山岳会の代表に、日本記念日協会から交付された「谷川岳の日記念日登録証」が手渡されました。

(制定への覚え書き。こんな思い、感じで決めました)

谷川岳山岳資料館館長 八木原 圀明谷川岳山岳資料館館長 八木原 圀明 谷川岳の山頂、稜線、一ノ倉沢に代表される岩壁群、線としての登山ルートや登山道。戦国時代は越後と関東を結ぶ重要なルートであり、明治時代には一度は国道として整備された清水峠越えの国道291号線に代表される旧道、新道のハイキングルートなどが「谷川連峰、谷川岳」を語る時に忘れられないように「○○○の日」という、万人が思いを新たにする「導、標、しるべ?」という「核」がそれらの1つとしてあればなおのこと良い。

谷川連峰、谷川岳は日本百名山のひとつであるにも係わらず現在全国的に見たら地元の我々が思うほど認知度は高くないのかも知れない。知られ方も「遭難」「魔の山」という「負」の知名度。麓を含む谷川岳を彩る豊富な自然、一ノ倉の岩場にとりつく登攀者から年配の方のトレッキングまで楽しめるバリエーション、華々しい登山史・登攀史と近代登山以前の越後とを結ぶ歴史など、知られていないことはたくさんある。「谷川岳の日」をそれらを思い出し、まだ見ぬ「谷川岳」に思いをはせるきっかけとしたい。

生活の山、信仰の山以後の近代登山史中の谷川岳の正式な記録として残されているのは1920年(大正9年)7月2日の日本山岳会の藤島敏雄と森喬による剣持政吉を案内人に立てての新潟側・土樽から茂倉岳、一ノ倉岳、谷川岳と県境稜線を縦走し群馬側の天神尾根を下って谷川温泉へ辿り着いた。これが谷川岳における近代登山の始まりである。昨2010年が90周年であった。

大島亮吉の「主として谷川岳の岩壁の下調べに行きたるなり、全ては尚研究を要すべし。近くてよい山なり」の報告(慶応山岳部報・登高行7号。1929年)があり、翌年の東北帝大の小川登喜男らにより谷川岳登攀史上記念すべき年を迎えることになる。

それらの発端となった初縦走の日の7月2日を「谷川岳の日」と制定することで谷川岳に登る登山者はもちろん、「谷川岳は我々が誇る故郷の山、町のシンボル」と常々口にするみなかみ町民にも初縦走の記録・歴史を記憶に留め、また登山家、山を愛する人、の心の中に眠っている「谷川岳」を掘り起こし、谷川岳にまたみなかみ町に来てもらうことも目的とする。

また、谷川岳を知らない方にもこれを契機に「谷川岳山麓の町みなかみ町」そして「谷川岳」を知っていただき、登山目的の方のみでなく、このように歴史ある谷川岳が望めるみなかみ町に1人でも多く来ていただきたいとう観光的な目的が大きいというところは言うまでもないことである。



谷川岳の日制定の動きは、2007年に「みなかみ町山岳資料館」が開設した際にその記念に制定しようという働きかけがあったが実現しなかった。本年7月 から9月末までが「群馬デスティネーションキャンペーン」であること、9月1日で清水トンネル開通による上越線全線開通80周年記念の年であること、など から2010年9月に土合の「谷川岳山岳資料館」に関係者が集まり懇談会を開催した際にこの機会に記念日を制定しようという機運が盛り上がり今日に至り、 最終的には「みなかみ町長」名で日本記念日協会に記念日申請するというところまでいたった。

                                        2011年3月

 (谷川岳山岳資料館館長 八木原 圀明)

山の日(8月11日)

国民の祝日 2014年制定、2016年施行

ぐんま山の日(10月第一月曜)

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